アメリカの外国諜報監視活動

アメリカの外国諜報監視法、Foreign Intelligence Surveillance Act of 1978 (FISA)は、アメリカでのこの種の立法では珍しくない、いわゆる“sunset clause”をもった時限立法で、今年(2017年)末が、その期限である。
目下、連邦議会上院にその延長法案が用意されている(下院による法案の用意は遅れている)。

FISAの中でも一番問題になるのが、702条と呼ばれる条文で、言ってみれば、令状主義という司法の大原則を踏まないで、捜査を可能にするものである。

要件は、外国諜報(外国勢力との間の交信)である。
国際テロに係ることで、特殊な裁判所FISCの令状を貰って、デジタル上の監視が可能になる [1]。

この条文は、9011事件を受けてG.W.ブッシュ大統領が考えた対策を、立法化(Patriot Act of )したものとされる。
その後2007、2008年の改正を経て、現在の形になっている。

アメリカ人の生命を脅かしている国際テロに対抗するという効用を有する一方、令状なしの捜査、それも「目で見、手で触ってみる」ものでないデジタルの世界であるだけに、喧しい議論を呼びがちである。
しかも外国勢力と言っても、その範囲を明確にすることは容易ではない。

しかし、それだけに他方で、同法が、中でも702条が、アメリカの安全、アメリカ人らの安心感に多大な寄与をしているだろうことも、理解できる。
右派のシンクタンク、Heritage Foundationなどは、この延長を、それも今回はsunset clauseなしの―無期限の―延長を求める記事を出して、「今日、すべての外国諜報の25%は、702条によって得られている…」と述べている。

例のロシアによる2016年大統領選への介入も、注記のプログラムを通して根拠づけられたことが判っている。
ただ、プログラムを実施する中で、普通のアメリカ人のこと(その交信内容)が「明るみに出る…」という副産物がある。
このような副産物をなるべく減らすよう、その可能性の大きい“about communications”の収集方法に対する適切な抑制の必要性も指摘されている。

FISA法と、その下でのプログラムの価値は、共和、民主両党とも大方認めており、今年末の期限延長には、大きな問題はないと思われる。
しかし、これを今のsunsetの状態から無期限(恒久)立法とするとなると、些か議論が違ってくる。
殊に、その間にスノーデン(Edward Snowden)による暴露があった今回は、特別である。
上下両院とも、通るべき委員会は、諜報委員会と司法委員会である。

目下のところは、政府の当局者(CIA、FBI、NSAなどの担当)がこうした委員会に対し、「これで、テロの計画を未然にいくつ掴んだ…」、「危険な武器の拡散を妨げた…」などとして、働きかけを強めていた段階である。

ある筋では、未然に防いだ事件として
(ⅰ) ある合衆国のメーカーが危険な武器を、不用意に20万ドルで危険なグループに売り渡そうとした
(ⅱ)イスタンブールのナイトクラブで新年に爆弾事件を起こした中心人物の住所を、トルコ当局に連絡できた
(ⅲ)合衆国を狙ったサイバー攻撃の手法を究明できた
(ⅳ)トリニダード・トバコからシリアへ潜入し、インターネットでイスラムテロのための戦士を募っていた男のサイトを突き止めた(wtop.com)、
を挙げている。





[1] プログラムの1つ、プリズムPRISMによると、外国諜報と交信していると、合衆国が合理的に考えるアメリカ国内の人(アメリカ人も含む)、ないしウェブサイトを、国家安全庁(NSA)は、全てのインターネット機関(ISP)にそのウェブサイトに係る全ての交信記録を提供させられる。そうして集められたデータの中からNSAは、適当と考えるものをFBIとCIAに提供する。
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学校妨害法があるサウスカロライナ州のハイスクールでの出来事

サウスカロライナ州と言えば、その南端に、大西洋に開いた有数な港町チャールストン市がある。

湾口にあるサリヴァン島には、連邦の要塞Fort Sumterがあり、南北戦争開始の場所となった。
南軍が4月12,3日に砲撃し、守備隊を降伏させた。
この港町チャールストン市は、かつての奴隷貿易で賑わった。

そのサウスカロライナ州には、全国でも珍しい少年法(刑事法)、「学校妨害法」(Disturbing Schools law)がある。

NPR(10月7日)は、同州のSpring Valleyハイスクールで、この少年法を適用して2人の少女らを州の矯正所へ送る用意をした。
ここで紹介するのは、その間の手続と関係者についてである。

先ずサウスカロライナ州の学校には、SRO(School resource officer)という人がいる。
多くは地区警察の人や、そのOBがやっているらしい。
それが、学校内での秩序違反などをチェックして、州の矯正所(Dept. of Juvenile Justice)などへ連絡したり、送致したりする。

本件での2人の少女のうち、1人はチューイングガムをかんでいたのを「止めるように」言われ、止めなかったところ、SROが机ごと引っくり返した上に、上の処置に及んだもので、もう1人は、その一部始終をスマホに撮っていたために、州の矯正所への送致が問題となったようだ。

そのような処理を、連邦憲法違反の角で訴えたのが、「アメリカ人市民権自由連合」(ACLU)である。
その申立て理由として、大要、次のように主張している。

「同法は、思春期にある生徒ならするであろう正常な行動をも、学校内の秩序違反と咎める方向で運用されている…それというのも、同法の要件が余りにも広く、公正かつ安定的な運用が困難なことがある…」。

この訴えに対し、担当した連邦裁判官は訴えを却下している。
主張していることに、法律上の基礎がなく「当事者適格がない…」という訳である。

この学校妨害法は、そもそも学校の外部から(例えば、他の学校の男子生徒が、女子にちょっかいを出すとか)の妨害を取締り、学校の秩序を維持しようとするものであるという。

今の場合、身体の拘束もされていないし、その惧れも合理的にないから、訴える利益を有しないという訳である。
しかし今や、同法に対する非難が喧しくなり、州も改正を考えているという。
それというのも、これまで圧倒的に黒人の生徒が対象とされてきたことが大きいようである。

「突撃する雄牛」像と「恐れを知らない少女」像

ウォールストリートのメリルリンチ社ビルの前に「突撃する雄牛」(Charging Bull)像が立っている。
それに対抗馬が登場した。馬の像ではない。「恐れを知らない少女」(Fearless Girl)像である。

今年の「世界女性の日」(International Women’s Day)に、やはりウォールストリートに古くからある金融会社State Street社が、この像を建てた。

同社が言うには、世界女性の日のために「各社のリーダー格となって働く、女性幹部一般の重要性を強調して」、立てたものだ。
この「恐れを知らない少女」像は、確かに恐れることなく、勇気を持って突撃する雄牛の方をじっと見つめる。

一方、雄牛像彫刻の作者(Arturo Di Modica氏)は言う。
「少女像は、自分の作品が本来持っていた意味をまるで失わせてしまった…」。

State Street社に対する風当たりが厳しくなる中で、同社は、時あたかも、アメリカ合衆国労働省の調査を受けた結果、5百万ドル(訳5億5千万円)の和解金を支払うことになった。
「何も悪いことはしていない!」と言っている。

一方労働省によれば、「会社のリーダー格の中で、女性幹部への支払と、男性へのそれとの間にかなりの開き(significant differences)があり、かつ黒人と白人間の給与支払いでも、大きな差があった」としている。

これに対し会社は、和解金を支払うことに合意はしたが、何もかも認めた訳ではない。

「労働省の言分との間に不一致があるが、もう6年越しのこの問題に決着を付け、前進するために合意した…」と反論している。
更に「会社は、男女間でのペイの平等を主義としている」ともつけ加えている。

その挙句のウォールストリートの角での恐れを知らない少女像である。
開拓社会アメリカでは、女性の地位は伝統的にうんと低かった。
公職選挙法で、黒人と白人間の差を取り払ったのが修正ⅩⅤ(1865年)であるのに対し、女性に投票権を認めた憲法修正ⅩⅨが出来たのが、1920年である。

リトル・ロック・ナイン60年

9月25日を迎え、アメリカのメディアの多くが、60年前のアメリカ南部アーカンサス州、リトル・ロック・セントラル高校での事件を記念している(“Little Rock Nine, 60 Years”という訳である)。

アメリカの南部が一口に行って、どんな特徴のある社会か、折に触れて記してきた。
きっかけは、ニューヨークの法律事務所にいた時(1982年)、向うの弁護士から言われた次の言葉、「このニューヨークが、アメリカだと思っちゃいけないよ!」であった。

60年前の1957年といえば、日本は朝鮮戦争の余波もあり、漸く復興の足音がはっきり聞こえ始めた頃であった。
一方アメリカでは、キング牧師がアラバマ州都モンゴメリ市の中心に近いデクスタ通り(Dexter Ave.)の黒人教会(その昔は、奴隷取引所)に赴任してきて2年が経っていて、公民権運動の萌しを示す、いくつかの出来事が起こっていた。

その人達の中心的テーマは、「白と黒の非分離」(desegregation)である。
3年前の1954年、ウォレン(Earl Warren)長官の下、最高裁の9人の判事の全員一致によるブラウン判決(Brown v. Board of Education, 1954)が出されていた [1]。
「教育の場における人種分離は、それ自体、憲法の定める平等権を侵すのみならず、将来的にも異人種との共存、相互理解に根本的な妨げとなる…」式の判決である。

これに対し、南部各州は、猛烈な反撥を示した。
ウォレン長官の人形が、数か所で絞首刑に処せられたほか、ヴァージニアの名家、南部民主党保守派の代表的な連邦上院議員のバード(Harry F. Byrd, Sr.)氏が、有名なマニフェストを出すなどで、徹底した抵抗Massive Resistanceを示していた。

そんな状況だから、最高裁の判示にも拘らず、南部州での白と黒の共学は一向に進まなかった。
ある程度非分離が進んだのは、1960年代にかけてであったが、その動きがピタッ!と止ったばかりか、何と1990年代にかけて、再び白黒の分離の方向になっている。

ただし、司法の分野では、注記のブラウネル氏が推薦した連邦の裁判官(いずれも独立心の強い、根性の据わった人)が、任命されて第5巡回裁判所など、南部州に影響するポストを占め、公民権運動に好意的な判決を次々と出した [2]。

さて、冒頭の“Little Rock Nine”であるが、こうした遅々として進まない中で、脱分離の方向での2,3の力が現れ続けた。
1つは、連邦政府からの圧力である。
彼らは何といっても、州と連邦予算を握っている。
今時、私学でさえも、何らかの形でそうした連邦政府からの資金注入を受けている。

もっと本質的なのは、やはり世論、それも、黒人の有識者らを中心としたそれであった。
そうした人々が叫ぶ「脱分離」の声である。
その元には、黒人の「能力を引上げたい」、ひいては「社会格差をなくしたい」という願望がある。

反対方向にも言及すると、白人社会の間にも、脱分離に対する根強い抵抗があることも確かである。
第一、白人家庭の中で、自分の子弟を黒人が主の学校に上げようとする例は、先ず「ゼロ」といってよいであろう。

NPR(9月26日)は、60年の記念日を迎えたLittle Rock Nineのうちの8人の生存者(どれも皆70歳台)ともインタビューしている。

8人は今、高校の講堂に戻ってきた。
そこでは60年の記念式があり、アーカンサス州生まれ、育ちで、同州知事もしていたビル・クリントン元大統領が話をしている。
今宵のテーマは、「前進を振返る」であるが、少なからぬ人が、「今は逆の動き、再び分離の方向が出てきている…」と述べていた。






[1] 政治(ことに国内政治)に疎いド素人だったアイゼンハワー大統領は司法長官に、人柄の立派なブラウネル(Herbert Brownell, Jr.)を持ってきて、司法の大本をすべて任せた。そのブラウネル氏は、最高裁長官にウォレン氏を推薦し、その結果、必ずしもアイゼンハワー大統領の思惑通りではなかったが、ブラウン判決が生れてきた。

[2] これを見て、南部州の民主党議員などは、怒り、かつ慌て、アイゼンハワー大統領に圧力を加えて、ブラウネル氏を辞任させている(1957年)。ブラウネル氏はその一方で、徹底した反共産主義志向の人であった。公職を辞任した後は、再びニューヨークの弁護士として働き、ニューヨーク市弁護士会長(ABCNY)もしていた。

民間軍事会社

アメリカは、暫く前まで自他共に許す「世界の警察官」として活動してきた。
アフガニスタン、イラク、ソマリア、リビア…などである。
その中で、合衆国軍が必ずしも戦闘行為を行ってきた訳ではない。

アメリカには都合のいいことに、「民間軍事会社」と称する会社がある。
そうした会社の1つに、Blackwater Worldwide社がある。
作ったのは1997年で、ミシガン州出身(1969年生まれ)のプリンス(Erik Prince)氏による [1]。
彼も、元はと言えば海軍特殊部隊(Navy Seal)出身である。

アフガニスタンでのアメリカの軍事活動はもう16年になり、合衆国として史上最長である。
トランプ大統領としても、何がしか処理したいところであろう。

そこで、民間軍事会社の話しに戻ると、もう辞任したが、バノン氏と大統領の娘婿のクシュナー氏とが、今年の春先にもそうした提案を政権に持ち込んだが、マチス(James Mattis)国防長官と、マックマスター(H.R. McMaster)大統領補佐官に断られていたという(8月31日のNPRなどが報じている)。

同じNPRによると、Blackwater社は、この種の民間軍事活動契約によって、これまでに政府との間で何億ドルもの収入を得ているという(なお、プリンス氏の姉が、教育長官De Vos氏でもある)



[1] こうした民間軍事会社が出来てきたのは、特に9.11事件後、アメリカが、それに対してアフガニスタン侵攻を始めた頃だという。