戦争の宣言権

アメリカが未だイギリス王の植民地(コロニー)であったころから、「戦争権」は、王の専権とされていた。

トランプ大統領になって、もう8ヶ月。
初めからこの大統領の言動は「なかなか予断できない」と言われてきたが、目下の焦点の1つは、北朝鮮への対応、それも核兵器使用への予断である。

大統領の9月19日の国連演説中の次の声明が響いている。

「アメリカやその同盟国を守らねばならないと判断したら、他に選択肢はない。北朝鮮を完全に破壊し尽す…」

アメリカの連邦憲法では、戦争を宣言(declare war)するのは、連邦議会の権限と決っている(Ⅰ,8(11))。
ところが、アメリカ合衆国は、この戦争宣言を1941年(W.W.Ⅱ)以来行っていない。

戦争の性質とも絡むが、常に悠長な手続きを踏んでいられるとは限らないことも1つの理由になる。
そのため、W.W.Ⅱ以後に、以下のような大統領への予めの授権(立法)で代替措置が採られたこともあるが、中には、世間の非難を食い止めるのに、十分でないケースもあった。

この戦争宣言に代る予めの授権とは、どんなものか。

最初に、「ベトナム戦争」の例がある(アメリカ政府は、これを戦争と呼ばなかった)。
どんな特殊な事情があったか、ざっと振返ってみよう。


事は世に言う「トンキン湾事件」によって起こった。
1964年8月2日、アメリカの駆逐艦Maddoxが、ベトナム、トンキン湾沖の海域を巡視して走っていたところ、北ベトナムの魚雷艇(第135魚雷隊)が、有効な距離300メートル以内に近付こうとしてやってきて、魚雷を6発を放ったが、全て外れた。
一方Maddoxは、12.5センチの銃弾の機銃、280発を発射。
同時にアメリカの空母「タイコンデロガ」から発進したクルセーダージェット機によって攻撃された。

事件を受けて、ジョンソン大統領は、「議会による決議」を求めるとともに、テレビに出演して、
「アメリカは、東南アジア地域での自由をサポートし、平和を守るための一致した決意を示さねばならない…」、
「(今回の事件は)我合衆国軍を防御するために必要な行動であり…大戦争(wider war)を求めるものではない…」、
「敵対国家(hostile nations)は、合衆国の自国を防御しようとし続ける決意を知るだろう…」、
と述べていた。

時恰も、大統領自身が候補として出ている1964年大統領選挙の日まで残り3ヶ月を切ろうとしている時であった。

8月6日、時の国防長官マクナマラ氏は、議会上院の合同委員会で説明していた。
「Maddoxは、アメリカが常時、世界中のどこでも行っているような、お決まりの任務に就いていただけだ…」と。

こうしたことを受けて、議会は8月10日に、
「1955年の東南アジア集団防衛条約(SEAT)の加盟国からの要請があれば、それに応じ大統領が、彼らの自由を守ってやるべく、そのために必要なすべての措置(step)をとれるよう、議会は授権する」
と言う、いわゆるAUMF決議を通した [1]。

このときは、この「AUMF決議」の名ではなく、「トンキン湾決議」と呼ばれたが、しかし、この決議が実質的にベトナム戦争開始の号砲となる。

この1964年から3年も経った1967年になると、世間はアメリカの犠牲(アメリカ兵の人命に加え、財政上の負担の大きさ)に、騒ぎ出した。
具体的には、先の議会が大統領に与えたお墨付きのAUMF決議の取り消しである。

その際、表面化したのは、アメリカの海軍が当時発表していたこと(8月4日にも、更なる北ベトナムとの間で武力衝突があったことなどの報道)が、根拠がないものだったことである。

一方、1969年1月に就任したニクソン大統領は、当初トンキン湾決議の取り消しに反対していた。
しかしその後、同じ反対でも、理論構成を変えて、大統領の権限を主張していた。
「すべては、憲法が明定している大統領の陸海軍の統帥権(Ⅱ,1)に由来する」という訳である。

そのニクソン大統領になって3年目の1973年、議会は、今回は正式名称「AUMF決議」を、ニクソン大統領の拒否権を蹂躙して通した。
このAUMF決議は、「大統領に勝手な真似はさせない」とする逆方向からの内容のものであった。
つまり、ニクソン大統領は、武力を行使するについて、一定の要件(議会との相談など)に従わねばならないというものである。




[1] このAuthorization for Use of Military Forceは、416-0の全会一致で、上院では88-2の多数で通っている(en.wikipedia)。これには、この地裁で共産主義が伸長するのを、食い止めたいという思いも強く働いていた。

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