オセジ部族とFBI

オーストラリアの場合もそうだが、アメリカでも、白人(移住者)らは、先住民らの殺戮を繰り返してきた。
それも、「いつ、何処で?」と言わず、「絶えず、至る処で」行ってきた。

アメリカ・インディアンに対しては、国家、つまりアメリカ合衆国軍がその征討に当ってきた。
いくつもの大きな戦い(会戦)が記録されている。

その1つ、南東部アメリカに住んでいたセミノール・インディアン族(Seminole)との間では、第1次(1817~1823)から第2次(1835~1842年)、第3次(1855~1858年)と、半世紀近くに亘って壮絶な戦いが続いている。
その間、インディアンに対する「追い立て」の立役者となったのは、ジャクソン第12代大統領である。
そのクライマックスが、1838年のオクラホマの居留地へ向けての「涙の行軍」(Trail of Tears)となる。

さて、そうした東部から遥々何千キロと言う行軍ではないが、直ぐ隣のミズーリ州の西に多く住んでいたオセジ族(Osage)にまつわる、同じく悲話が記されている。
いや悲話と言うよりは、NPRは「残酷物語」、いや「残虐物語と言うべきものだ」、と伝えている。

悲劇の主人公のオセジ・インディアンも、元はミズーリなどにいた。
それが19世紀中に追立てられて、一旦カンザスに移された後に、更にオクラホマ州の北東部の高地にやってきた。
岩盤状の地層で、州内でも最も農耕生活には不適とされている地方である。
しかしオセジ族は、少なくとも「ここなら、もう二度と白人らによる追立てに遭わないで済むだろう…」、と期待した。
そこを安住の地と決めて住み始めた。

ところがである。
運命の神の悪戯か、どういう理由か不明ながら、20世紀の前半になって、その地が豊かな油田の上にあることが判明した。
その結果、インディアンらは今や平均して金持ちになり、家を新築したり、車を買い替える者が増えた。
連邦政府も、お金を持ったことのないインディアンのためを想って、白人の資産管理人を派遣して、相談に乗らせたりしていた。

このオセジ族の部落で20世紀に、あちこちでポックリ死する人が目立つようになった。
この事実を本「花月の殺人者」(Killers of the Flower Moon)にして著した作家グラン(David Grann)は、その本で恐ろしい殺人共謀の者のことを、作家が、「共謀文化」と呼ぶ現象が、インディアンの部落に蔓延する様を書いている。

白人らが、部落社会の至る処に、あらゆる形(職業など)で入り込んできていた。
石油掘削人、検死人、弁護士、検察官、医者、社会記者…。
彼らは、インディアンらの家の中に入り込んでいた…結婚などにより、その家族の一員として。

作家グラン氏の本に出てくるヒロイン、インディアンの女モリも例外ではなかった。
彼女の夫となった白人の男は、彼女とモリの親族を1人、1人と、得体の知れない理由による死に至らせた末に、彼女に属していた巨額の油田の権利を相続により取得する…そういう1921年のある日、モリは最後に残されていた姉の姿を探し求めて、あちこち彷徨ったが、その2,3日後に、彼女自身がこの夫となった男により背後から殺されていた。
このような不審死が部落のあちこちで起こるにつれ、中には不審に思い、事実を解明しようとする。
そうした努力は、ことごとく妨害され、解明者自らが殺される結末となっていた。
それを行ったのが、部落に入り込んできていた白人の石油掘削人、検死人、弁護士、検察官、医者、社会記者らであった。


NPRは書いている。
1920年代のアメリカと言えば、必ずしも全国各地に「法の支配が及んでいる状態…とは限らなかった」と(このインディアン部落でも、1924年までに殺人件数は24に達していた)。
不審に思ったモリが、自らも上記のように殺される前に、当時の中央政府の、まだそのための部門(後のFBI)も出来てなかった司法省に頼み込んだのが、その年であった。この造り始めの部FBIの最初の責任者となったのが、例のフーバー(J. Edgar Hoover)であった。
フーバーは、この初めてのケースで、色々と失敗したり、手古摺ったりしたが、その内、連邦としての初めてのインディアンの捜査員も雇い、地道に捜査した末に、遂に、モリの夫も入れた、この共謀殺人者らの群とその「共謀文化」が炙りだされた。
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