住宅街での線引き

アメリカの南部州では、南北戦争後からつい最近(公民権運動が盛んになる20世紀後半)まで、黒人らが痛めつけられ、酷い目に遭わされてきた(KKKなどによるリンチ殺人から、州当局者(白人)らによる手の込んだ悪企みによるなどで)。

これらの南部州の行為を抑え込める人が、何処かにいただろうか。
唯一考えられるのが、合衆国憲法とともにその下で誕生している連邦政府であった。

憲法の文言が気にかかっていない訳がない。
「努力しなかった」とは言わない。
事実、抑え込むまで行かなくても、調整などで努力をした例が無数に存在しよう。
殊に、20世紀後半から今日になると大分違ってくる。

これに対し、20世紀前半などは、たとえば、連邦政府が大きな役割を果たしてきた住宅政策。
そこで合衆国政府が、その省庁の中でも大きな連邦住宅都市開発省(Dept. of Housing & Urban Development, HUD)と、その外局とも言うべき連邦住宅庁(Federal Housing Administration, FHA)が、「努力しなかった」とは言わないが、酷いものであった。
FHAは古く、W.W.Ⅱ前であるが、HUDは、1965年に今の形になっている。

HUDはその名の通り、都市開発を行う。
それには住宅建設が重要な要素として入ってくるが、住宅建設に自ら係る訳ではない。
一方のFHAは、正に住宅建設に係っている。
と言っても、その取得、そのためのローンを出している訳ではなく、そのローン(Mortgageと呼ばれる)のための一種の政府保証機関である(mortgage guarantee)

NPRは、このFHAについての情けない実績を述べている。
1933年のいわゆるニュー・ディールの時のことである。
大不況のため、家がどこも建っていなかった。
全国的に都市開発が不足している事実を認識した連邦政府は、「国が、その補給に積極的に係るべきだ」、と考えた。
それだけでも民間の自主性を重んずるアメリカのような国としては、新しい考えと言える。

ところが、ここの第一歩で、人種差別を表看板に掲げてしまった。
NPRが紹介するこの問題についての新著「法の色」(Color of Law)では、これを「政府が主催した人種差別のシステム」(state-sponsored system of segregation)と呼んでいる。

どういうことか?というと、そこでの住宅供給計画では、FHAが保証する物件を、「白人の、中産ないし下層中産家庭用の…」(designed to provide housing to white, middle-class, lower-middle-class families)と謳っていたからである(FHAは、このニュー・ディール時の1934年に設立されていた)。
そこでは更に、黒人らの住む地区(in and near African-American neighbor hoods)での住宅ローン保証(mortgage insurance)を、業務の外へと明確に排除できるよう、そこに「赤線」(redlining)と言う言葉を造って、それによる線引きを定めていた。

この時の政策により、アメリカの郊外で現在でも多く見られる無数の戸建て住宅が供給されるようになる糸口が作られたが、それは、あくまで赤線の外だけの話しであった。
しかもその間FHAは業務用のマニュアルを出していて、マニュアルの中ではっきりと明言していた。
「同じ地区の中に相容れないような人種グループを入れてはならない」(incompatible racial group should not be permitted to live in the same communities)である。

マニュアルは、このような「赤線引き」の実効化のための助言として「ハイウェイ」を利用すること、それによって線引きをし、地区を巧く分離することを、奨めていた。
本ではこのニューディール時代からの政府の政策は、アメリカ社会の隅から隅までにわたり、永続する影響(lasting effect)を未だに及ぼしていると指摘する。
人種分離構造がすっかり社会全体に、全国津々浦々に、浸透してしまったと指摘する。

いわば全国的な社会の色分けであり、一目見てそこが住宅の価値として上向きで有望な資産であるかそうでないか、はっきりと区分するシステムを作ってしまった。
アメリカでの公的な住宅政策は、社会福祉として、低所得層向けとして、始ったのではない。

そのアメリカでは、収入面だけを比べると、黒人の収入は、白人のそれの60~70%のレベルまで上がってきた(かつては、全然少なかったが)。
それでも保有住宅資産を探ると、平均して5%にしか達しない。
その原因の大半は、上記のような政策と、その後の住宅価格の上昇によるものである。
アメリカの中流家庭で、何がその資産価値の中味を占めているか、彼ら自身が住んでいる住宅の価格であり、その上昇である。

上記のようなFHAによる人種差別政策により、1940年代から1960年代にかけて、白人の中流家庭では軒並み、この住宅価格の上昇の恩恵に浴してきた。
他方で、黒人らの家庭にはそうしたメリットがなかった。

そこで、公民権運動が盛んな1968年になって、公正住宅法(Fair Housing Act)が立法され、国家が、「黒人らよ!君たちも差別されることなく、住宅を入手できるよ!」と言ってくれた時には、かつては、年所得の2倍程度で買えていた。
それら郊外の住宅が、既に3~40万ドル、即ち彼ら(アメリカの労働者の平均)の年収の6~8倍の価格にまで跳ね上がってしまっていた。
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