憲法上の武器の自由の具体化

アメリカでは、人々が手易く拳銃などを入手し、保有している。
そのことは広く知られていよう。
だが、どんな拳銃を、いつ何処で、どんなふうに保有していてよいのか、詳しいことまでは知られていない。
第一、その大元の憲法(修正Ⅱ)の言葉自体も、1行半で簡潔も良い所だ。

「自由な州(国家)の安全のために必要な、よく統制のとれたミリシア(Militia)と、人々が武器を保有し、かつ携える権利は、これを侵すことができない。」

見られるとおり、上記の修正Ⅱの文言は、ミリシア(権)に関する前句に、(個人の)武器保有自由の後句が続く。
2つの句が互いに密接に結びついているように、この文体からは、2つの保障が互いに密接に結びついているものとの推認が働く。

確かに歴史的には、両者間に密接な関連が存在した。
イギリスでの武器所持の自由もまた、イギリス人(そしてアングロサクソン族)に伝統的なミリシア制度と密接に結びついた権利とされてきた。
アメリカでは、ライフル銃保護団体(NRA)などが、時に連邦政府が、何らかの銃規制をしようとすると、このような伝統も援用して、反対している。

しかし、「銃の保有がミリシアを育成・常備するためにのみ肯定される」、との主張は、斥けられている。
最高裁は、修正Ⅱの銃保有の自由をミリシアの育成・常備とは別の、「独立した個人の保身上の権利」、として肯定している [1]。(小著、「アメリカの憲法成立史―法令索引、判例索引、事項索引による憲政史―」p.370より)。

注記の最高裁の判示は、ある意味で画期的である。
何しろ、この武器保有の自由についての憲法条文の問題(深み)に、最高裁は中々、(上告を受理して)自ら入って行こうとしない。
そのため、ミリシア(民兵隊)への参加とは無関係に武器保有・携行の自由を肯定した上記のケースも2008年と、ごく新しい。
その位であるから、「保有・携行」と言っても具体的にどこで、どんな風に保有・携行していてよいか、などの答えは定かではない。

たとえば、「自衛のために使用できれば、十分だ」、として家の内だけなのかどうかも問題になりうる。
いや、実際に昨年(2016年)、サンディエゴ郡の当局が拳銃を外に持って出ることを認めなかったことで、その点が争われた。
しかし、裁判所は、この件でNo!の具体的な判断は示したものの、一般に「公の場ではどうなのか」、という疑問に役立つような判断は一切示さなかった。
これに対し、全国ライフル協会(NRA)は、「失望した…」とのコメントを出している。

とに角、アメリカの裁判所は、なるべくこの銃の問題に立ち入りたくないようであるが、最高裁の判事の中でも、2人はそれとは違う、トーマス判事(Clarence Thomas)は、もう7年近く経つから、最高裁として「新判断を示すべき時だ!」と言っている。

最も求められている判断が、公の場に外出するときに銃を携えられるか否か、どのような条件の下でか、であるが、ほかにも新時代の応用問題として、3Dプリンタによる銃の製造問題、それに襲撃用の銃に対し、どう対応するか、があるという(6月29日NPR)。




[1] District of Columbia v. Heller, 554 U. S. 570(2008)
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