日系人の集団隔離と最高裁長官ウォレン

アメリカの最高裁判決について知られているものを1つ挙げるとしたら、例のブラウン対教育委員会のケースであろう [1]。

それとともに思い出すのが、その時の最高裁長官ウォレン(Earl Warren)の名であろう。
彼は、20世紀後半入りした10年余り(1953~69年)に、アメリカの最高裁の歴史の中でも、「ウォレン時代」(Warren Court)と呼ばれる時期を作った。

このウォレン時代が画期的なのは、アメリカ人の人権擁護上で問題となることの多い州の権力との絡みで、殊に刑事訴訟手続き上で、連邦憲法上の保障を大きく進めたことであった。
それを憲法(修正Ⅰ~Ⅹと修正ⅩⅣ)の拡大解釈により実現したことであった [2]。

この最高裁でのウォレン時代からは想像もできないが、実は、彼は初めは郡の、後には州の検事総長に就いていた(カリフォルニア)など、法の執行機関での経験が永かった(1931~40年)。
その後の1941年には、カリフォルニア州知事に当選、1945年に再選されている。
彼がこのカリフォルニア州知事の時代の1942年に、例の日本人の隔離の話しが持ち上がり、実行に移されることになる。

実はこの隔離(Internment)案を、かねてから主張していたのが、ウォレン知事であった。
というより彼は、かなり早くから、まだ彼が郡やカリフォルニア州の検事総長時代から日本人に対して、つまり州内にいる日系人に対して、並々ならぬ警戒心を抱いていた。

彼が日本人というものを個人的に知って、そう思っていた訳ではない。
反対に彼も、当時(1930年代)のカリフォルニア州民一般が抱いている程度の漠とした日本人像しか持っていなかった。
郡の検事総長時代に、地元の日本人がいかに問題を起こすことが、ましてや事件を起こすことが少ないか、その程度の知識以外特に持ち合わせなかった。

その中で、検事という職業柄、彼は「地元の治安」問題には特別に心を配っていた。
殊に1930年代の後半に、ヨーロッパやアジアで緊張が高まり、実際にも武力衝突が発生するなどを受けて、1941年春には警告を出していた。
「…騙されてはいけないよ!全体主義者らが、秘密組織を使ってフランスやデンマークやオランダでやったような事件を企んでこないとは限らないからな!」。
そう言って彼は、カリフォルニア州で違法なまま放任されていた地元のドッグ・レースを止めさせ、サンタ・モニカ沖などに停泊する賭博船の取締りを実行し、組織犯罪グループの州内潜入を阻止した。

そんな彼は、日本人が地元の日系人と示し合わせて、その手引きによりアメリカ大陸に潜入して、武器庫や火薬庫を爆破したりしないか、強い懸念を表明していた。
12月7日朝の真珠湾攻撃は、こうしたウォレン知事の抱いていた懸念を、正に裏付ける出来事となった。
開戦の次の年1942年、彼は州内にいる日系人が、「アメリカの防衛上のアキレス腱になりうる…!」とし、「あちこちで日系人によるサボタージュが起こりうる…」と警鐘を鳴らした。
「白人(コーカシアン)なら、我々は顔色を見て、ある程度判断できる…が、日系人ときたら、さっぱり表情が読めない!」とも言っていた。
確かに、1942年中は日本の海軍が太平洋のかなりの部分で制海権を握っており、カリフォルニア州上陸の可能性も否定できなかった。

そんな中で、日系人の集団強制移住の話しが持ち上がるが、その主唱者の1人がウォレン知事であった。
このアメリカ合衆国憲法違反の国の行為に対しては、1943年には早くも批判、反省とともに、解除の動きが出るが、ウォレン知事は、「我々は、第2の真珠湾を、ここカリフォルニア州で起こさせたくない…」と言って、反対した。







[1] Brown v. Board of Education of Topeka, 347 U.S. 483(1954)

[2] この修正ⅩⅣの特権と平等権は、修正Ⅰ~Ⅹの各人権が「連邦政府に対してだけでなく、州権に対しても守られる」という解釈である。この自然法的考え方は、それまでの最高裁判事多数の考えとは一致しないが、修正ⅩⅣの提案・作成者、下院議員John Armor Binghamは、この考えをベースに、修正ⅩⅣの文言を考えたとされる。ウォレン長官は、正にこの解釈を広めた(小著、「アメリカの憲法成立史―法令索引、判例索引、事項索引による憲政史―」八千代出版、2015、p.546以下)。
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